不妊治療についての記録です。不妊治療に至るまでの経緯から、治療内容、使用した薬、費用、結果、その時の気持ちなどを少しづつ記していきます。
既往歴など
●27歳→子宮筋腫切除の手術を受ける(漿膜下筋腫といって子宮の外側にできる筋腫)
●29歳→結婚
●31歳→頚椎症性神経根症が発症。
●32歳〜33歳→子宮頸がん検診で軽度異形成・中度異形成・異常なしを繰り返す
●34歳 →子宮頸がん検診を受けている産婦人科で不妊治療を開始。基礎体温表をつけることから始め、多嚢胞性卵巣症候群と診断される。
●34歳 →子宮頸部円錐切除の手術を受ける(子宮けい癌検診で高度異形成と診断された為)
●35歳→不妊治療専門クリニックを紹介される
●35歳〜頚椎症性神経根症が発症し、治療に専念。(薬を飲むため不妊治療を中止)
●36歳→不妊治療専門クリニックへ夫婦で受診
子宮筋腫切除術
27歳の時に受けた子宮筋腫切除では5センチ程切って、筋腫を取り出しました。手術前は腹腔鏡の方法で取り出す予定でしたが、筋腫が予想以上に大きかった為、変更になりました。
筋腫の手術をする前は小さくなるか様子を見るために、漢方薬を飲んだり、生理を止める注射をしましたが、小さくなることはなかったので手術することになりました。
生理が止まっている間は、いち早く更年期症状を経験しました。特に一番出た症状はホットフラッシュです。仕事中、上半身が暑くて汗をかいていました。
私一人だけ汗をかいていて、ハンカチが手放せなかったです
子宮けいがん検診で要精密検査
32歳頃から子宮けいがん検診で、異常有りの要精密検査になることが多くなりました。
精密検査はコルポスコープ(腟拡大鏡)というものを用いて、病気があると疑われる部分が見つかれば、組織を一部採取して顕微鏡で診断します。
異常なし、軽度異形成、中度異形成、高度異形成、がん、といった結果で出ます。
軽度異形成や中度異形成は、自然と異常なしになることも多く、この段階では手術はしないそうです。
私の場合は軽度や中度、異常なしを繰り返していて、経過観察をしていました。
円錐手術
結婚して約5年経っても子供に恵まれなかった為、34歳で子宮頸がん検診を受けている産婦人科で不妊治療を始めました。
私だけ病院に行き、まずは基礎体温表をつけることから始めましたが、グラフがほとんどフラットな状態でした。多嚢胞性卵巣症候群と診断され、プロゲストン錠を1ヶ月半ほど飲みました。
多嚢胞性卵巣症候群(polycystic ovary syndrome、略してPCOSやPCOと呼ばれます)は、1)月経が不順である、2)卵巣に小さな嚢胞(卵胞)がたくさんある、3)男性ホルモンが高くなるなどホルモン値のアンバランスがみられる、の3つが揃うと診断されます。定期的な排卵が起きないため、不正出血が起きたり、無月経や月経不順になったりします。このような排卵障害のために不妊の原因にもなります。
日本内分泌学会HPより
プロゲストン錠は黄体ホルモン剤です。月経異常に効果があるそうです。
基礎体温のグラフの高低がつくようになり、いよいよタイミング法へという段階で、子宮頸がん検診の結果が高度異形成で円錐手術をする事になりました。
円錐手術は子宮けい部を電気メスで切り取る手術方法です。子宮を温存する方法なので、手術後に妊娠出産が可能です。ただ、子宮けい部を切り取るので、早産の可能性が高くなります。
手術は成功して、切り取った組織にガンはみとめられなかったので、とりあえずホッとした事を覚えています。
手術後の検診で問題なかったのですが、検診の次の日、大量出血しました。切り取った部分は電気メスでかさぶたを作って血を止めていたのですが、そのかさぶたの一部がはがれ、出血したそうです。その後は止血をしてもらい、なるべく安静にして過ごしました。
その後は出血することもなく、子宮頸がん検診で今のところ異常なしです。
産婦人科での不妊治療再開
円錐手術の約3か月後、35歳から不妊治療再開しました。タイミング法で排卵を促すクロミッド錠を処方されました。タイミングをとった後に病院へ行き、着床しやすいように注射を打ちました。
このクロミッド錠を飲むと今までにないくらいイライラしていました。夫にやつあたり、気持ちの浮き沈みが激しく、自分が自分ではないようで、こんな自分が嫌になりました。
恐るべしクロミッド錠。ホルモンでこんなに人格が変わったようになってしまうなんて。治療とはいえ、もう飲みたくない。
妊娠しやすいように運動やサプリを飲んだりして普段から妊娠しやすいように気をつかって生活し、生理が来ては落胆していました。
薬を飲んだり、注射を打ったり、病院に行く回数も増えて、自然とストレスはたまっていたと思います。
3ヶ月ほどタイミング法を行ってみましたが、妊娠には至りませんでした。ここで、不妊治療専門クリニックを紹介されました。
不妊治療専門クリニックを紹介された後、夫から一旦治療のことから離れて、心身ともに少し休んでからの方がいいんじゃないかと言われ、そうすることにしました。
まだ治療の初期段階しか行っていないのに、精神的にも身体的にも負担が大きいということを実感しました。
そしてこの先、不妊治療に耐えられるだろうか、と不安が募っていきました。妊娠できる確率は時間が経過するごとに確実に下がっていく中で、治療から離れていいのだろうか、と色々な思いがめぐりました。
ただ、今のこの状態で本格的な治療に入っても、きっと心も身体も持たないと思いました。とにかく今は休息をとることが一番だと治療から一旦離れました。
治療から離れている間は、スッキリしたかったので家の片付け、運動や筋トレをしたり、熱帯魚を愛でたり、音楽を聴く、ブログを書く、友人とランチに行ったりしました。
頚椎症性神経根症
治療から離れている間の36歳の年始あたりから、腕にしびれを感じるようになり、日に日に痛みに変わりひどくなっていきました。
病院に行った結果、頚椎症性神経根症と診断されました。31歳の時にも発症したのですが、その時の症状は足に出て薬で治りました。
今回は前回とは異なる箇所の部分が圧迫されて、症状が腕に出ました。
まずは薬を飲まなければ治らないので、頚椎症性神経根症を治してから不妊治療専門クリニックに行くことにしました。
36歳の夏、頚椎症性神経根症が治り、夫婦で不妊治療専門クリニックを受診しました。
次回は不妊治療専門クリニックの初診について記事にします。